立花展勝地は、極めて変化に富む地勢にして、
雄大豪壮の風向を有する北上の流域に沿う絶大の眺望を有し、
黒沢尻町その他遊覧地区として名あり。
ことにその核心をなす国見山神社は、
その信仰とその史実と相まって、
県下の名勝の一となれり。(中略)
立花展勝地計画より(後の和賀展勝地計画)
「展勝地」とは
言葉の由来は展望のきいた名勝・景勝の地の意味であり、
その名称を名付けた人たちは心底魅せられ、
未来まで拡がりを求めた場所。
そして今なお続く物語。
正式な地名では無く、範囲は明確な境が無く、
それでも「展勝地」としてこの場所は存在し、親しまれる。
「場所を指す言葉」でもあり、
「文化や歴史を示す」ものでもある。
100年を越す歴史の物語はまだまだ続く。
この地にある自然や文化に魅せられる
大正9年、和賀展勝会が立花展勝地計画を計画。
翌年大正10年から桜の植栽を行い、「展勝地」を開園。
後の黒沢尻町長であり、「和賀展勝会」の設立者
「沢藤幸二」氏が中心に様々な人たちが尽力してきたことで、
100年を越した現在も桜の名所として、
また北上市民の心の拠り所として存在している場所です。